それはどうかな

心に引っ掛かったことを書き留めます

されどチェリまほ

この定型表現でいくと
「されど〜」の前に「たかがチェリまほ」が
有ってしかるべきなのですが
この作品を「たかが」で切って捨てるほど
愛が冷めてしまったわけではないのが悲しい。

あの、あのチェリまほが映画化されるという
一報に接し
「わぁ!ヤッター!絶対見に行く!楽しみ!」
と、ならなかった自分が不思議でもあり
そりゃそうでしょうね、でもあり。



BLであると同時に、性別を超えた
「人が人を想う気持ちの切なさ尊さ」を
丁寧に描いた佳作であることはもちろん

スタッフと演者が「いいドラマを作ろう」と
ひたすら精進した光が随所に散りばめられ
毎回、観終わった時の至福感は
この上ないものでした。

でも、やはりBLはBLです。

黒沢の町田啓太と安達の赤楚衛二
男性御両人の美貌、存在感、演技力には
脱帽しきり、感嘆のため息しきり
只々、圧倒されたものでした。

しかし、待ち受けていたものは……

二人の愛情、美しさが極まった先の
大人としての愛情表現を期待するのは
BL好きの悲しい性ですねぇ
と言わんばかりの肩透かし。

でも当時は「ヘ?これで終わり?」くらいで
ラストのエレベーターの扉を
無理矢理こじ開けてやろうか、ほどの
燃えたぎる感情は無かったのです。

まぁ、このご時世でいろいろ事情があったんでしょう、と。
(でも柘植先生と湊はキスしたんだよなぁ)

しかし、その後
タイや台湾のBLドラマを観る機会が増え
あちらではキスシーンはもちろん
更にはその先も、すべて「標準装備」であることに腰を抜かしてしまったのです。

そこで改めてチェリまほに立ち返った時
「たしかに、アレは無いよな」と。

まだ初々しい、恋愛のイロハのイで右往左往しているような物語ならいざしらず
(ま、安達くんはその段階かもしれませんが)

黒沢くんの妄想では、かなり色っぽい仄めかしまでやってのけておいての
結局の、アレ。

失望というよりも
鼻先に人参ぶら下げられて走らされる馬のような扱いを受けた
そんな屈辱を感じたのです。

腐女子貴腐人と言えど
腐っても鯛なのです。

ちゃっちい作りのくせに
ホラ、これが見たかったんでしょ的ラブシーンを入れられるのと同様
やるぞやるぞと期待持たせておいて
ハイ、残念でした!も
底知れぬ憎悪の対象となり得るのです。

(大体、題名に「童貞」の文字を燦然と輝かせといて、何やってんだって話)

映画版ではドラマ後の話をやるそうなので
二人は完全に恋人関係、つまりはそういう関係ですから、もう避けて通れない設定です。

もし、そこでも同じ轍を踏むことになったら
映画館の中心で「金、返せ!」を
叫ぶこと必至。

それでなくても、町田くんの例の件で
ドラマのブルーレイをキャンセルしようにも
させてもらえなかったシコリが
私には残っているのです。

いやいや、SUPER RICHじゃあるまいし
金の話だけではありません。
チェリまほ後のお二人に、若干の不安を感じているのもあるのです。

再共演するとなったら、否が応でも
チェリまほがチラつくというのに
何故、その場しのぎで作ってるような
(台本がまだ無いと言うような)
不安材料てんこ盛りのドラマに出ようと思ったのか。

御本人の一存で決められないことかもしれませんが
現に、主演を打診された女優さんが
悉く断ったそうではないですか。

しかも二人は敵対関係の設定。そうなると
えーっ、黒沢くんと安達くんが仲悪いなんて
ガッカリーっ……か
いくら言い争ってても黒沢くんと安達くんが
じゃれ合ってるようにしか見えない……の
どちらかだと思うんですよね。

前者だと、チェリまほへのイメージダウン
後者だと、SUPER RICHの妨げになり
どっちに転んでもイイこと無し。

そういうリスクが見えなかった甘さ込みで
劇場版チェリまほを見る勇気が
私には無いのです。

あの時の純粋な感動を
少しでも損ないたくない
これはもう、防御反応ですね。

もし、ドラマ版を上回る出来栄えだと
風の噂で聞いたなら
あぁ良かったと胸を撫で下ろし
いつかテレビで放映されるのを楽しみに待つ。

それでも構わないと思えるほど
あの日の感動は大切な思い出だったのです。