それはどうかな

心に引っ掛かったことを書き留めます

自由のようで自由でない ベンベン♫

驚きました。
普段寄り付かないチャンネル、Eテレ
「100分de名著 安部公房砂の女”」の
朗読者が、我らが町田くんという意外性。
 
プロデューサーの方のインタビューによると
「土方の演技が良かったから」
「透明感のある声が、物語との違和感を生んで不条理が際立つ」のだそうで

正直、買いかぶり過ぎじゃねぇの?
と、不安な気持ちで観てみました。

実は、私、朗読に携わって幾星霜。
NHK日本語センターで研修も受けたことがございまして
この度、町田くんが朗読するとなると
居ても立ってもいられない心境なのでした。

番組自体も初めて見たものですから
どういう構成かも知らず
全編、彼の朗読だったらどうしよう……
だったのですが

安心してください。違いましたよ。
朗読は断片的で
メインは寧ろ、講師のヤマザキマリさんと
司会の伊集院光さんとの含蓄ある掛け合いですね。

ヤマザキマリさんと言えば
あの『テルマエ・ロマエ』の作者さん。

油絵で身を立てようと
弱冠17歳で、単身イタリアに渡り
極貧の中で右往左往していたドン底時代に
砂の女(イタリア語版)』に出会って
多大な影響を受けたのだそうです。

片や、伊集院光さんは
「『砂の器』とゴッチャになってる」という
全くの『砂の女』初心者。

私も原作は読んでないのですが
作者・安部公房自ら脚色したという映画は
昔、観たことがあります。

あるのですが、白黒の映像と全編砂まみれと
女優・岸田今日子さんの不気味さに
ホラー映画大好きな私が
言いしれぬ怖気に襲われ、リタイアしたという
私にとっては、いつかリベンジしなきゃならない作品でもあるのです。

というか、ヤマザキさんのような
途轍もないドン底を経験してない当時の私は
「自分にとっての自由とは?」なんて
これっぽっちも考えてないわけで

そんな能天気が理解できるような
浅い内容ではなかったんですよね。

ところが、まぁそれなりに苦労を経験し
町田くんのお陰で(?)この番組に出会い
ヤマザキさんの実体験に基づいた解説と
それに反応する伊集院さんの
これまた実体験から導かれる例え話で

あの時のちんぷんかんぷんが嘘のように
「自由」の紐がスルスルと解けていく感覚を
味わうことができました。

解けたからと言って
「自由とはこういうものである!」と
単純明快にならないところが
この作品の醍醐味なんですけどね。

私は『プレバト』という番組が大好きで
特に俳句の夏井先生の名添削に唸らされてますが
まさに先生の「人に伝わる句を作るためには
実体験を書きなさい」を
この『100分de名著』でも実感いたしました。

ヤマザキさんと伊集院さんのお話は
小難しい用語など一切無い
すべて実体験から得た、血の通ったもの。

それら一つ一つがストンと胸の奥に落ちて
難解と思われた『砂の女』が
整然と見えて来るのですから、あら不思議。

訳の分からない不気味さに「ダメだ、こりゃ」と匙を投げてしまったあの時に
この番組と出会いたかったものです。

で、この番組に於ける町田くんの朗読は
どう捉えたかというと……
多分、プロの役者さんの朗読って
私のような素人のものとは別なんでしょうね。

素人はあくまでも黒子に徹して
作品の世界観を損なわないことを第一にしますが
役者さんの場合「その人が表現する」ことに
意味が有る。

そして、その番組の趣旨を損ねない
その番組に相応しいものであることが求められるのでしょう。

そういう点で、先のプロデューサーさんの言
「透明感のある声」がピッタリはまるのです。
ヤマザキさんと伊集院さんのお話を全然邪魔しない
それこそ透明な水がサラサラ流れていく心地よさ。

純粋に「朗読」として聞けば
色々と難は有るのでしょうが
番組が役者に求めている役割は
『イエナガ』同様、果たしているわけですね。

恐るべし、町田啓太(笑)
(ただし、土方の演技云々は納得してないけどね!)
 



あ、「自由」について考えるついでに
只今、ネットで上を下への大騒ぎになっている
口を開けば「自由、自由」のやんごとない方々へ
ついつい思いが至ってしまうわけですが

父さんも母さんも、NYへ高飛びした姉さんも
「私は籠の鳥」の妹さんも
頑として裏口入学と盗作を認めない弟さんも

一回、読んでみ、『砂の女』。
自分たちが思い描いている「自由」が
なんぼのもんか。
わかるかなぁ……わかんねぇだろうなぁ(笑)