それはどうかな

心に引っ掛かったことを書き留めます

これまでの天子様、これからの天子様

土方歳三、栄一睨んで一回休み。
でしたね。
今回のクレジットタイトルに名前が無くて
ガッカリなような、ホッとしたような……


幕末からこっちって、学校の授業でも
なんか駆け足で通り過ぎたような記憶があり
渋沢栄一=日本の経済の仕組み作った人、と
機械的に覚えただけだったような。
(テストに出るから仕方なく)

あの時代の人たちは、皆もれなく
国家の在り方が一変するという
途轍もない経験をしたんですよね。

教科書の明治時代に出てくる渋沢栄一にも
江戸時代の生活があったなんて
当たり前のことなのに
今まで考えてもみなかったなぁ、と改めて。

ましてや、一橋慶喜に仕官したとか
土方歳三とも接点があったとか
歴女じゃない私には驚きの連続で
「青天を衝け」毎回、楽しく観ております。

これぞ歴史の醍醐味だなぁと思ったのは
渋沢栄一が如何に傑物であったとしても
その才能が埋もれるか開花するかは
人との出会い関わりで左右されたということ。

尾高惇忠がいなかったら、攘夷の「じ」の字も知らなかったでしょうし
惇忠の弟、長七郎の説得が無かったら
栄一の命は横濱焼打ちの炎とともに燃え尽きていたでしょう。
(この時の満島真之介に、私震えました)

特に最大の出会いは
慶喜側用人、平岡円四郎ですよね。
ホントにこの人いなかったら
栄一、間違いなく京で野垂れ死にでした。

栄一の才覚が如何に素晴らしくても
それを見抜く先見の明の持ち主と出会わなければ、ただの宝の持ち腐れ。
私はあまりこの言葉使いたくないのですが
嫌でも「運命」なんて物を感じてしまいます。

そして今回シビレたのは
薩摩の金に目が眩んだ中川宮を
面と向かって諫め倒した慶喜ですね。

たとえ皇族の血筋ではあっても
一人欺けば、朝廷が信用を失うことになりますぞ!と、見事な釘の刺し様でした。

これ聞いたとき、ふと思ったんですよ。
一言一句、現代の銭ゲバ宮家に
まんま聞かせてやりたいな、と。

だって、いいですか

秋篠宮一人が欺かれれば、このような大事に至るということは覚えておいていただきたい。
秋篠宮の意見が小室の工作ごときで、こうもころころと変化し国民を欺くのであれば、もう誰が秋篠宮の言うことなど聞くものか」

ほらね。

父の水戸烈公の言葉
「徳川に背くことがあっても、天子様に背くことはあってはならない」のように
天皇の存在は、日本人の拠って立つ根っこそのものなのです。

現代では「象徴」と呼ばれていますが
日本国民の精神的支柱であることに
変わりはありません。

天皇の弟宮とは言え
ゆくゆくは皇統が移る一家の体たらく。
慶喜のように切腹覚悟で諫言を呈する
腹の据わった知恵者がいないという悲劇。

最悪の場合、永きに渡って続いた皇室も
国民にそっぽ向かれて消滅するかもという
前代未聞の真っ只中なのです。小室ごときで。

ある意味、私たちも歴史の転換点に立っているのです。